2007年09月

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株式会社相愛は新しいリハビリ機器の提案として、全方向移動型歩行訓練機「歩行王(あるきんぐ)」(特許出願中)を、第34回国際福祉機器展にて発表する。

 一般的に脳や脊椎の損傷などによって高齢者が歩行障害を生じ、その回復がなされない場合、次第に生活範囲が狭まり、加速度的に精神的・肉体的老化が進行し、寝たきりになるのが通常であることから、社会の高齢化とともに歩行機能のリハビリテーションが重要になっている。

 医療の現場では最も重要な初期、中期の立位・歩行リハビリテーションでは、主に平行棒、杖、あるいは簡易な歩行器のような装置を用いつつ、理学療法士など介護者の多大な身体的負担により実施されているのが現状。

 いっぽう、歩行は一般的に2足直立前方向歩行と単純にモデル化されることが多いが、本来人間の歩行は単純な前方向だけではなく、横歩き、後歩き、方向転換などいくつかの基本動作の組み合わせからなる複雑な動作群として考える必要がある。

 同社では、安全性を確保した全く新しい歩行訓練機を提供することにより、高齢者や歩行障害者の自立生活を支援することを目的として、高知工科大学、高知大学医学部(両大学とも松下電工「ジョーバ」の共同開発者)と共同開発を行ってきた。

 全方向移動型歩行訓練機「歩行王」では、全方向への移動訓練が可能で、移動距離・移動速度を調節することができる。

 転倒現象には二つの典型的なケースがあり、人間が歩行器の走行速度についていけなくなり前傾して倒れるケースと、自分の体重を支えきれずに、膝から急に崩れ落ちるケースがあるが、同機では電子制御により利用者の身体状態に合わせた走行速度の調節が可能で、従来の歩行器のような、いわゆる「おきざり転倒」を防ぐ。また、安心シートを装着することにより、急な膝落ちの転倒を防ぐ。

 理学療法士や介護者は訓練中、見守る程度で良いので、肉体的・精神的負担を軽減できる。また、集団訓練も可能で、業務の効率化が図れるので、本来必要な細やかなメンタルケアの時間をとることができる。

 複合的な訓練ができるので、下肢筋力の強化と動的バランスの向上が期待できる。また、上体周囲のサポート機能と利用者の身体状況にあわせた訓練プログラムを設定できるので、初期~中期の立位・歩行リハビリテーションで使っうことにより早期回復が期待できる。



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株式会社ウエルネス・フロンティアは、自分の日常の活動力で、どの疾病を患う可能性が高いか判定できる「活動力チェックシステム」と、デイケアサービス等介護予防推進者が体力測定に伴うドキュメントを簡単に作成できる「ドキュメント作成ソフト」を開発した。

 「活動力チェックシステム」は、東京都老人総合研究所青柳幸利氏が「高齢者の身体活動と健康に関する研究」の中で、群馬県中之条町の高齢者約5,000人を対象に5年間の研究データを基に活動力と疾病との相関表を開発。同社は、生活習慣記録製品「ライフコーダ(株式会社スズケン)」を使い、自身の年齢と測定した活動力で自身の疾病危険度を判定できるシステムを作成した。

 例えば、自治体、町内会、老人クラブ等を通して、高齢者へライフコーダーを渡し、1週間後測定を行う。測定の結果を通して、活動指導のアドバイスが行え、基本健診への動機付けにつながる。これら一連の活動を通して特定高齢者の把握に繋がるなどの活用方法がある。価格は、活動力支援システムのうち、ライフコーダーPLUSが13,300円(30台1セットで399,000円)、活動力チェックソフトが200,000円となっている。

 いっぽう、「ドキュメント作成ソフト」は、体力測定の結果を入力するだけでデータのグラフ化ができ、各施設の設備や運動ノウハウに応じた個別運動機能計画書も作成が容易にできるようになっている。同ソフトでは、介護予防推進者の業務の効率化が進み、より質の高い介護予防が実現できる。また、計画書は1度入力すれば、次回からは前回と違うところを変更するだけで簡単に作成することができる。

 具体的な使用の流れとしては、「利用者の情報を入力後、体力測定情報を入力」「体力測定をグラフ出力、体力測定結果から運動(マシン)を使った計画書を出力」「分析結果を元に介護予防実施計画書作成や個別機能訓練実施計画書作成を出力」となっている。価格は150,000円。
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株式会社三井住友銀行は、2007年度中に有人店(無人出張所は除く)に設置している全てのATMを生体認証対応にする。加えて、2007年度中に視覚障害者対応ATMを全拠点に設置する。

 視覚障害者対応ATMは、ATM付属のハンドセットから流れる音声ガイダンスに従い、ハンドセットにあるテンキーを操作することで、目の不自由な人も利用できるATM。利用できる取引は、預け入れ、引き出し、残高照会、通帳記入となっている。

 同行では、全拠点において1台以上の生体認証対応ATMを設置しているが、2007年度中に有人店(無人出張所は除く)のATM全台を生体認証対応にする。今後、利用者のさらなる利便性向上を図るため、無人出張所への生体認証対応ATMの設置拡大を行っていく方針としている。

 また、バリアフリーの推進を目的に視覚障害者対応ATMの展開も進めており、2007年度中に全拠点への設置を完了する予定となっている。同行では、「今後も利用者へのサービス向上に努め、安心して利用できる環境やサービスの提供に努めていく」としている。


生体認証対応ATMの拡大について(本支店ATMの拠点数にはコンビニam/pmに設置している@BANKは含まない)

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パナホーム株式会社は、住宅業界で初めて、医療や介護サービスを備えた多機能型高齢者専用賃貸住宅「ケアビレッジ・リビング」を発売した。

 近年、日本は超高齢社会に入り、今後数十年で高齢者だけの世帯が急速に増加すると推計されている。また、少子化や核家族化が進む中で、家族が高齢者を介護できる力が低下している。多くの既存住宅においては、プランや設備・仕様等が高齢化する世帯事情に適合せず、自立生活と介護生活のいずれにしても、安心してくらせる住まいが不足している。

 いっぽう、増大する高齢者医療費を抑える政策の一環として、2006年4月に医療保険と介護保険が同時改正。高齢者介護の分野においては、療養病床が大幅に削減される政策が打ち出され、介護保険施設の新規開設が総量規制されるなど、これまでの“施設介護“から“在宅介護“への転換が大幅に進められている。

 こうした動きを受け、介護保険制度の総量規制を受けない高齢者向け住宅として「高齢者専用賃貸住宅」の制度が発足。2007年6月には、厚生労働省が、これまで不動産業の兼営を禁じていた医療法人の経営参入を解禁することで、医療と介護を連携させた住宅の整備がより一層促進することになり、今後ますます増加が予想される高齢者介護の問題や不安に国として備えていく動きになっている。

 「ケアビレッジ・リビング」は、住宅業界で初めて、多機能型高齢者専用賃貸住宅を商品化。入居者には質の高いサービスと安心感や快適な居住性を提供し、医療法人をはじめとする経営者には医療+介護+賃貸住宅の安定収益を確保する。

 パナホームの医療・介護建築事業の実績に基づくパッケージプランや、事業計画から開設・運営支援をトータルにサポートする住宅業界初のコンサルティングシステムで、経営者をバックアップ。注文住宅事業のノウハウを随所に生かし、わが家の雰囲気あふれる外観や室内環境を実現した。

 軽量鉄骨柱・梁ラーメン構造を採用し、パッケージプラン10プランを基本としたフリープランを提供する。延床面積980.67m2(296.65坪)・2階建・居室数26室・エレベーター1基付、デイサービスセンター定員20名プランの場合の税込価格は3.3m2あたり65万円台以上となる。価格は、地域と延床面積、仕様により異なる。販売地域は、北海道、沖縄、一部寒冷地域を除く全国で、同社では販売目標を初年度50棟としている。


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厚生労働省は、各都道府県国民健康保険団体連合会が2006年5月~2007年4月に審査したすべての介護給付費明細書、給付管理票を集計対象とした「2006年度介護給付費実態調査」の結果の概況を公表した。

 2006年5月審査分から2007年4月審査分(1年間)における介護予防サービスと介護サービスの年間累計受給者数をみると42,984.1千人となっており、そのうち介護予防サービス受給者数は4,760.1千人、介護サービス受給者数は38,238.5千人となっている。

 また、年間実受給者数(2006年4月から2007年3月の各サービス提供月において、1度でも介護予防サービスまたは介護サービスを受給した者)は4,295.6千人となっており、2005年度と比較すると102.8千人減少している。年間実受給者数が減少したのは、制度開始以来、初めてとなる。

 2006年5月審査分における受給者のうち、2006年4月から2007年3月の各サービス提供月について1年間継続して介護予防サービスまたは介護サービスを受給した者(年間継続受給者)は、2,506.0千人となっており、年間継続受給者の要介護(要支援)状態区分を2006年4月と2007年3月で比較すると、「要支援1」~「要介護1」の軽度の受給者が1,122.4千人から953.4千人に減少している。

 また、「要介護2」~「要介護4」の要介護(要支援)状態区分の変化割合をみると、それぞれの要介護度で、軽度化よりも重度化の割合が高くなっている。2006年4月の介護保険制度改正により2006年4月で「経過的要介護」となった受給者は、2007年3月には75.0%が「要支援1」「要支援2」へ移行している。

 2007年4月審査分における認定者数4,509.6千人のうち、受給者数は、3,580.4千人となっており、性別にみると、「男」1,025.3千人(28.6%)、「女」2,555.1千人(71.4%)となっている。また、認定者に対する受給者の割合をみると、「男」75.8%、「女」80.9%となっている。

 65歳以上の年齢階級別人口に占める受給者の割合を男女別に見ると、「70~74歳」以降の全ての階級において、女性の受給割合が男性を上回っている。

 2007年4月審査分の受給者1人当たり費用額は148.9千円となっており、介護保険制度改正前の2006年4月審査分と比較すると3.6千円増加している。2006年5月審査分と2007年4月審査分の受給者1人当たり費用額を、サービス種類別に比較すると、介護予防福祉用具貸与などで減少し、介護サービスにおいては全てのサービスで増加している。

 2007年4月審査分における受給者1人当たり費用額を都道府県別にみると、介護予防サービスは石川県が41.7千円と最も高く、次いで福井県が41.3千円、愛媛県が40.8千円となっている。介護サービスでは、高知県が193.7千円、次いで石川県と佐賀県が192.9千円となっている。

 2007年4月審査分における平均利用率(居宅サービス受給者平均給付単位数の支給限度基準額(単位)に対する割合)を要介護(要支援)状態区分別にみると、「要介護5」55.6%が最も高く、次いで「要介護4」54.4%、「経過的要介護」49.7%となっている。

 また、居宅サービス別に受給者の要介護(要支援)状態区分別利用割合をみると、訪問介護はいずれの要介護(要支援)状態区分でも約40%~50%となっており、訪問看護は要介護(要支援)状態区分が高くなるに従って利用割合も高くなっている。

 2007年4月審査分の訪問介護受給者について要介護状態区分別に訪問介護内容類型の割合をみると、経過的要介護では「生活援助」85.8%、要介護5では「身体介護」82.0%などとなっており、要介護状態区分が高くなるに従って「身体介護」の利用割合が高くなり、「生活援助」の利用割合は低くなっている。

 また、1人当たり費用額は、介護予防訪問介護ではほぼ一定額で推移しているが、訪問介護では、受給者の介護予防サービスへの移行に伴い増加している。

 福祉用具貸与種目別に、1年間の単位数の割合をみると、「特殊寝台」が40.9%、「車いす」が22.1%となっており、「特殊寝台付属品」と「車いす付属品」を含めると、特殊寝台と車いすの貸与が全体の80%を占めている。

 2007年4月審査分における地域密着型サービスの請求事業所数は、認知症対応型共同生活介護で8,776事業所、認知症対応型通所介護で2,562事業所などとなっている。

 また、地域密着型サービス別に、受給者の要介護(要支援)状態区分別の割合をみると、「要介護3」の割合が最も多く、次いで「要介護2」となっており、「要介護1」~「要介護3」の受給者が約70%を占めている。

 各施設サービスの1年間の単位数は、介護福祉施設サービスが最も多く、次いで介護保健施設サービス、介護療養施設サービスとなっている。また、受給者1人当たり費用額をみると、いずれの施設サービスも要介護状態区分が高くなるほど費用額も高くなっている。

 2007年3月中に退所(院)した施設サービス受給者について、要介護状態区分別に入所(院)期間の割合をみると、介護福祉施設サービスではいずれの要介護状態区分でも「1年~5年未満」が最も多く、介護保健施設サービスでは「30日~90日未満」と「90日~180日未満」が多くなっている。介護療養施設サービスでは、要介護状態区分が高くなるに従って「30日未満」と「30日~90日未満」の割合が少なくなり、「1年~5年未満」の割合が多くなっている。



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フジッコ株式会社は、介護老人保健施設都筑シニアセンターと静岡県立大学薬学部石田均司氏との共同研究で、カスピ海ヨーグルトが介護を必要とされる高齢者の便秘改善に有用であることを実証した。試験結果を、第13回日本摂食・嚥下リハビリテーション学会学術大会(さいたま市大宮ソニックシティ、9月14日~15日)と第18回全国介護老人保健施設愛知大会(名古屋市名古屋国際会議場、10月10日~12日)にて共同で発表する。

 カスピ海ヨーグルトは家庭で簡単に作ることができ、健康にも良いといわれる牛乳発酵物。長寿の研究で著名な家森幸男氏が、長寿者が多いことで知られるコーカサス地方を調査した際に、栄養分析のため持ち帰ったものがはじまり。その後、日本の気候的風土に合ったものが、人づてに広がった。酸味が少なく口当たりがクリーミーで、とろりとした独特の粘りがあることがその特徴。味わいにコクがあるので食べやすく、従来のヨーグルト好きの人にはもちろん、酸っぱさが苦手な男性や子供、年配の人の栄養補給にも適している。

 同社は家森氏の協力のもと、優良株であるラクトコッカス ラクティス サブスピーシーズ クレモリス エフシー株を分離し、安全に家庭で植え継ぐことのできる種菌やそれを用いた製品開発を行ってきた。その健康効果については、すでに整腸効果や肌機能低下の予防効果など、数多くの学術報告が行われている。

 一般にヨーグルトは、食べ物の飲み込み(嚥下(えんげ))が困難な人や介護を必要とする人であっても、安全に食べれる食品とされている。いっぽう、ヨーグルトには整腸作用をはじめ、様々な健康効果が知られていることから、ヨーグルトは食べやすく、かつ健康機能を持つ優れた「介護食」だと考えられる。そこで今回、同社製品「カスピ海ヨーグルト」が介護を必要とされる人の便秘症改善に貢献する健康食であることを実証するため、5週間の摂取試験を実施した。

 一般に、糞便中のビフィズス菌数と占有率(糞便中の総菌数に占めるビフィズス菌の割合)は腸内環境を反映し、良好な腸内環境下ではビフィズス菌数や占有率が高値を示すと言われている。カスピ海ヨーグルト摂取グループの便中のビフィズス菌数と占有率は、摂取期間が長くなるにつれて増加した。

 カスピ海ヨーグルト摂取グループでは、腸内環境の改善に伴う排便頻度の増加、すなわち整腸効果が期待された。同研究では試験対象者の多くが下剤を常用している影響で、全ての試験対象者のデータを比較した場合には両試験食間に、有意な差は認められなかった。しかしながら、下剤や整腸剤を服用してもなお一週間のうち便の出ない日が2日以上あるという便秘傾向の強い対象者(カスピ海ヨーグルト摂取グループ、プラセボ食摂取グループそれぞれ5名ずつ)について排便記録を解析したところ、一週間あたりの排便回数がカスピ海ヨーグルト摂取グループで経時的に増加した。

 これらのことより、カスピ海ヨーグルトは、要介護高齢者の腸内環境を改善し、それによりとりわけ強度の便秘傾向者に対する整腸効果が期待できると考察した。なお、プラセボ食でも弱いながらもカスピ海ヨーグルトと同様の効果が見られたが、これはプラセボ食の原料中の乳糖や造粘剤といった成分の影響であると考えられた。

 カスピ海ヨーグルトの「硬さ」と「粘性」は、厚生労働省が定める嚥下・そしゃく困難者用食品の基準値を満たした。従って、カスピ海ヨーグルトは「嚥下食」としての適性があると考えられた。

 カスピ海ヨーグルト摂取グループのうち、嚥下検査法である改訂水飲みテストで食品によっては、誤嚥の危険性がある軽度の障害を持つ「3a」と診断された対象者が1名いたが、摂取期間を通じて誤嚥は全く見られなかった。

 同社では、今後も医療機関・施設などの協力を得ながら、カスピ海ヨーグルトの介護食・嚥下食としての有効性と安全性をさらに研究していく方針としている。

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HSBCグループが実施した第3回目の高齢化と退職後の生活に関する過去最大規模のグローバルな年次調査、「退職後の生活」によると、高齢者は社会にとって負担となるどころか、それぞれの国で経済的・文化的に多大な貢献をしていることがわかった。オックスフォード大学のオックスフォード・インスティチュート・オブ・エイジング(The Oxford Institute of Agening)と共に実施した「退職後の生活」調査プロジェクトは、日本人1,000名を含む、21の国と地域に居住する40才から79才までの2万1,000人を対象としたもの。

 調査では高齢化の進んでいる国々で介護などの問題から、高齢者が社会にとって負担となっているという通説が誤りであることが明らかになった。また、実際には、60代と70代の人々は、納税、ボランティア、家族の世話などを通じて国の基盤となっていることがわかった。

 世界各地で、60代以上の大半の人々が仕事に就いている。成熟した経済では、60代の5分の1から半数の人々が仕事を続けている。発展途上にある国でさえ、60代と70代の多くが活発に労働市場の一端を担っている。

 日本では、60代の人々の41%がパートタイムまたはフルタイムで働いており、60才以上の推定770万人がなんらかの形で雇用されている。これは、年間で111億時間の労働と1兆8,000億円超の税収に相当すると推定される。また、60代の人々の半数以上(54%)が可能な限り働き続けることを希望している。

 この調査では、世界で60代と70代の人々の1/5(19%)がボランティア活動に参加しており、そのうちの半数以上(56%)、全体から見て1/6(15%)の人々が毎週半日以上をそれらの活動に費やしている。日本では60才から79才までの人々の25%がボランティア活動に参加し、年間16億時間の貢献をしている。

 また、この調査によると、先進国ではドイツを除き早期に退職する傾向が減少していることが分かった。人々は必要に迫られてではなく、自ら働き続けることを希望している。世界全体では、調査対象者の71%が現在仕事に就いており、早期退職よりも働き続けることを自分から望んでいる。日本では、60代の77%が働き続けることを希望している。

 世界的に高齢者は財政面、実務面、あるいは介護などまでも、受ける場合より自分が提供する場合の人が多いことが分かった。たとえば、財政的支援を行っている人々のうち16%を占める60代、また1/3近くを占める70代が財政的に孫を支援している。日本では、この調査実施前の6ヶ月間に友人や家族から財政支援を受けていたのは60才から79才までの人々で7%にしか過ぎないが、財政支援を提供していた人々は26%に上った。

 現在の70才の人々は、昔の世代であれば50才の時に送っていたような生活を楽しむことが可能。60代、70代の大半の人々は自分が健康だと感じており、生活上で注意しなければならない点や人生の質という面で、40代や50代の人々との違いはほんの僅かなものだった。

 先進国では、60代の3/4(75%)は健康状態が良好または非常に良好だと感じている。70代で健康な人々が最も多いのはカナダで(76%)、これに英国(73%)、米国(72%)が続く。日本では、70代の回答者のうち58%が、健康状態は「良好」または「非常に良好」と感じていた。



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あなたは1人で介護を抱え込んで、大変な思いをしていませんか。誰でも、いくつかの項目に心当たりがあると思いますが、チェックした項目の数が多くなると、抱え込み度もそれだけ高いといえるでしょう。また、チェックした項目が少なくても、介護を自分一人でやっていたり、相談者が身近にいなかったり、時間的な制約が大きいと、抱え込み度も高くなります。



早めにサービスを利用する

1人で介護をするのはとても大変なことです。抱え込み度の高い人は、本当によくがんばっていますね。
でも、いつまでも1人で全部抱え込んでいたら、あなたまで倒れてしまいかねません。こういうときは、さまざまなサービス(ショートステイ、デイケア、ヘルパー、食事・入浴サービス、訪問看護、家の改修など)を早め早めに利用すると、楽になります。あなたが倒れてしまってからでは、遅いのです。高齢者のなかにはサービスを嫌がる人もいますが、必ず慣れますので、3ヶ月は続けてみて下さい。
相談場所がわからないときは市町村の窓口に行って、そこから芋づる式にサポートのネットワークを見つけるようにします。自分たちにぴったりしたサービスが見つかるまで、いろいろ試すことと、あきらめないことが大切です。



介護される側の気持ちも考えて

過剰な介護は一時的には喜ばれても、介護される側の自立を妨げ、QOL(生活の質)の低下を招きかねません。時には介護される側にもできることがあったら、お手伝いをお願いして、「ありがとう」の言葉をかけてあげて下さい。邪魔に思われていない、家の中に居場所がある、という安心感は相手のプライドを守ることにもなります。
介護する側もされる側も、相手を尊重し、感謝の気持ちを忘れないようにすれば、笑顔が増えるはずです。

○が過半数を超えた方へ

あなたは介護をがんばりすぎてはいませんか。介護は日常生活の一部です。完全な日常生活がないように、完全な介護生活もありません。ちょっぴり肩の力を抜いてみましょう。わずかな工夫で、負担を軽減できることもあります。視点を変えると、介護を通して得ることがたくさんあるのに気が付きます。自分を大切にすることを忘れずに。ストレスが多いなと思った時こそ、自分自身をねぎらってあげましょう。
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1 介護はおもに自分一人でやっている。
2 介護は自分ががんばらなければと思う。
3 他人に家に入られたくないので、家族で介護したいと思う。
4 どこに相談に行けば知りたい情報が手に入るのか、わからない。
5 身体の負担が少なくなるような介護の方法を知らない。
6 介護の悩みを聞いてくれたり、相談に乗ってくれる人が身近にいない。
7 介護生活の先行きが見えず不安になる。
8 長い時間留守にできず、遠出ができなくなった。
9 友達付き合いや趣味の時間がとれなくなった。
10 子どもや配偶者の世話が十分できなくなった。

診断とアドバイスは明日へ。

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がんばらない介護生活「5原則」
一人で介護を背負いこまない。
● 家族皆で介護を分担する。
● 「家族の会」などで、ほかの介護者・被介護者たちと悩みを話し合う。

積極的にサービスを利用する。
● 事態が深刻になりすぎないうちに、公共のサービスを利用する。「早めにプロに相談を」
● 介護者は自分の時間をつくる。「根を詰めすぎず、ストレスを防ぐ。」
● サービスは自分にあったものを選ぶ。

現状を認識し、受容する
● 被介護者は障害とともに生きていくという現実を受け入れる。
● 介護者は介護をしなくてはいけないという現実を受け入れる。
● 元に戻そうとするのではなく、障害とともに、本人が生活しやすい方法をみつける。

介護される側の気持ちを理解し、尊重する

● 被介護者に介護者のやり方を一方的に押し付けない。
● 被介護者の何かをしようとする気持ち(自立)を大切にする。
● 被介護者本人が幸せなように持っていくと、介護者の負担が減る。

出来るだけ楽な介護のやり方を考える
● 被介護者にもできることは自分でしてもらう。(それが、被介護者の自立にもつながる)。
● 同じことをするのでも介護者の体への負担の少ない方法を考える。
● 介護用品や福祉用具を上手に使いこなせば、負担はぐっと軽くできます。

どうして「がんばらない介護生活」なのか

長期戦だからこそ、マイペースで。
子育てとは違って、介護はいつ終わるかわかりません。だからこそ、自分のペースを持つことが必要です。がんばり過ぎたら、後でスタミナぎれになってしまいます。

息抜きが毎日の笑顔をつくります。
がんばり過ぎはストレスのもと。ストレスが溜まると、つい難しいことを言ってしまったり、表情に出たりと、介護する側の関係を悪くしてしまいがち。それがまた、次のストレスのもとになってしまうんですね。
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「がんばらない」っていうのは意外に大変なこと。でもがんばりすぎは禁物。不道徳なくらいでいんです。

 「がんばらない」っていうのは意外に大変なことだと思います。私たちは、がんばることが美徳とされ、「がんばる人は良い人」、「がんばる人は立派な人」と教えられてきました。この美徳のために、私たちの心には、がんばりモードがつくられます。私たちは、みながんばってきました。勉強、スポーツ、仕事、がんばるから私たちは成長してきたのです。がんばりすぎは禁物です。がんばりすぎる人は、無理をして心や体に負担をかけてしまいます。

 精神科の外来を訪れる人の多くは、がんばりすぎてしまった人です。仕事でがんばりすぎてうつ病になった人、介護にがんばりすぎて不眠症になった人、たくさんのがんばり屋さんが疲れ果ててやってきます。そうした人たちの話を聞くと気がつくことがあります。身を削ってまでがんばってしまう人には、いくつかの傾向があります。

 介護にがんばりすぎてしまう人の、ひとつの傾向は、「完璧主義」です。なんでもかんでも自分でやろうとする人です。きちんとしていないと、気持ちがすっきりしない人は、ついつい、がんばりすぎてしまいます。そうした人には「いいかげん」になること、「肩の力をぬくこと」を推奨しています。二つ目の傾向は、「誰かに認められたい」という気持ちが強いことです。姑に認められたくて、母に認められたくて、夫に認められたくて・・、がんばってしまいます。そして、良い嫁、良い娘、良い妻でいようと無理をしてしまいます。そうした人には、「時には悪者になること」を推奨しています。三つ目の傾向は、「愛着と依存が強い人」です。いつでも母と一緒にいたい、父と一緒にいたい、配偶者と一緒にいたい・・・介護を通してのふれあいやつながりをとても大切にしている人たちです。そうした人たちには介護をうける人以外の人との交流を推奨しています。

 なんだか、私が言っていることは「不道徳」と思われる人もいるでしょうが、大切なんです。それほど、介護にがんばりすぎて疲れてしまった人は、「良い人」や「道徳的」な人が多いからです。

 私は、がんばって疲れてしまった人には、最初は「よくがんばってきました」と声をかけます。がんばってきたことを、家族になったつもりで理解してあげようと思います。そして「がんばらざるを得なかった状況や歴史」に耳を傾けます。誰か一人ががんばりすぎると、周りはその人を頼りにするようになります。だから、不道徳なくらいでいんです。時には怒ってもいんです。不満をいってもいんです。泣いてもいんです。がんばりすぎていることを周囲に伝え、皆でがんばりをシェアしましょう。
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気持ちの抜け穴をつくって、がんばり過ぎないで。

 母が病気がちになったことから週末の実家通いが始まり、入退院しているうちに痴呆の症状が出て、一時は一人暮らしの父と両方の面倒をみたり。そのうち父にも痴呆の症状が出てほうっておけない状態に。いろいろ病院や施設など調べてもなかなか適したものが見つからず途方に暮れた挙句「えいっ、面倒くさいからみんな一緒に住んじゃえ!」と、両親と、父子家庭だった弟と姪、独身の私で同居し、協力しながら暮らすという方法をとりました。同居後、母は半年で他界。父は自宅介護5年後、病気入院し寝たきりとなり一年8ヶ月後に他界。

 デザイナーという仕事もあったので、介護生活ではとにかく自分の気持ちがめげないように努力しました。弟と二人でやりきれないところは介護家政婦さんを頼んだり、たまにはおしゃれして出かけたり、また家に居てできることを考え、同居後しばらくしてからパソコンを始めました。興味はあってもメカに弱かったので自信はありませんでしたが、苦労しながらも「パソコンを開けば別世界!」に見事にはまり、それ以来無くてはならないものになっています。
 
 映画好きの人なら、思い切って人に任せた時間に映画を一本見に行くとか、ヴィデオを借りてきて一日のお楽しみにするのもいいし。介護はいくら頑張っても、先が見えないので気持ちのやり場がなくなりがちです。それに浸らずにすむように(浸っても決して解決方法にはなりませんから)、長丁場と思って、がんばり過ぎないでどこかに気持ちの抜け穴をつくっておくことがたいせつだと思います。介護する人がめげてしまったら、決してどちらにとってもよい形にはなりませんから。

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60%介護のすすめ。60%の力での介護が、身も心も疲れない介護の仕方。

 「がんばらない介護生活を考える会」という会を結成しました、是非、賛同者としてかかわって欲しいとの依頼があったのは今年のはじめでした。すぐに了解の返事を出し、現在に至っています。会の趣旨がまったく同感だったからです。

 1997年に「60%介護のすすめ(1)(2)」(保育社)という本を出して早や6年が経ちます。その間、現在においても100%介護で燃え尽きそうになる介護者を何人もみてきました。

 60%介護の提案は「手抜き」ではなく、「がんばらない介護をしてみませんか」ということです。よく「60%の意味は?」と聞かれることがあります。その意味は60%くらいの力で介護をし、40%は(1)介護の仕方を知る。(2)社会資源を上手に利用する。(3)専門家と知り合いになり相談する。(4)遠慮しないで協力者に声をかける。(5)遠い親戚の方や協力者は口を出さずに経済的な援助の手を差し伸べる。

 60%の力での介護が、身も心も疲れない介護の仕方と思います。(5)については介護者の周りにいる方でいろいろな注文をされるが介護の手を出されない方がおられます。こういう方が介護者にとっては一番ストレスになる方です。相談中に泣いて訴えられる多くはこのケースです。「よくやっておられますね」と労をねぎらってあげてください。その一言で明日へのエネルギーがわいてくるそうです。今回は「60%介護のすすめ」の提案でした。
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介護は人生の一部です。大変な時期だからこそ自分を楽しませてあげて。

  介護は生活の一部です。完全な子育てがないように、完全な介護もありません。お互いにほどほどの自由が許容される環境で介護生活がおくれたらと思っています。一般的に介護が始まると、趣味や仕事など今までやってきたことをやめてしまう方が多いようですが、介護も子育てと同じでいつか終わります。ただ、いつまで続くか予測ができません。介護生活が終わるまで、自分の人生を凍結して介護に専念しようという姿勢のかたもいらっしゃいますが、私はむしろ、自分のためにやっていることは続ける、あるいはやりたいことがあるならば、すぐに始めることを勧めます。介護は人生の喪失ではなく、一つの要素なのですから・・・。介護しながら、わずかでも自分の夢につながることが続けられたら気持ちにゆとりが生まれます。ストレスの多いときだからこそ、自分自身をねぎらい楽しませてあげてください。

  私は、長年、介護する人、される人のカウンセリングを行ってきましたが、同時に、介護者同士を結びつけることもしています。介護の経験のない専門家は介護される側の立場に同情するあまり、ときとして介護者を傷つけたり疲労させたりする場合があります。 

  また、孤立した介護をしていると、「自分一人が苦労している」と感じ、犠牲を強いられているような心境に陥りやすいものです。こういった感情はストレスを増大させますが、そんな時、同じ立場の人に苦労を分かってもらえると気分がすっきりして元気がでます。私自身も両親と義理の父の介護を経験しましたが、「話せば分かってもらえる、頼めば助けてもらえる」と思える存在があることで、ずいぶん気持ちが楽になりました。

  それから、介護サービスは、「まだ大丈夫」といううちに慣れておくことがたいせつです。サービスを上手に使いこなすには、余力のあるうちに試行錯誤を繰り返す必要があるからです。当然、介護が重くなっていくと核家族の介護力だけでは立ち行かなくなってきます。サービスは知っていても使わなかったり、使おうとも思わなければ決して楽にはなりません。困ったときに助けを求める能力は、人が生き残るためにとても重要なものです。介護する人もされる人も、お互いに一回きりの人生ですから、サービスや援助などを賢く利用して「がんばり過ぎない、がんばらせない」介護生活を実現したいものです。


別府 明子(べっぷ あきこ)
「がんばらない介護生活を考える会」委員。筑波大学大学院修了。社団法人友愛の灯協会理事、近畿大学・九州短期大学講師、品川介護福祉専門学校講師、明治学院大学附属東村山中学校・高等学校スクールカウンセラー。著書に「私らしい生きかたを求めて-女性と生涯学習」(共著、玉川大学出版部)がある。

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介護を楽にする、はじめの一歩。

  介護はどうして大変なのかを考えたとき、答えは簡単です。食べたり、飲んだり、排泄したり、自分の体の世話だけでも大変なのにもうひとりの命を背負うわけですから、大変でないわけはないのです。ひとりで頑張っているとしたら、自分の命を削っています。長続きはしません。体が悲鳴をあげます。体の悲鳴は心の悲鳴につながります。笑顔が消えるのは当然です。

  介護に直接関わらない人は「無理をしないでね」と声をかけてくれますが、「介護を代わってあげるわ」とは言ってくれません。言ってくれたとしても、自分がしているような介護は実際できないでしょう。代わって貰えない関わりがあるのです。無理してもこなさなくてはならないことが沢山あるのです。

  そこで『無理をしないで無理をする』のです。それには自分の人生を意識することです。自分の人生の主人公は自分であると思うことです。介護と同時進行で自分の人生を生きる。自分は何をしたいのか、どう生きたいのかが見えてくると、今抱えている介護生活のなかでどう時間を作ればいいかが見えてきます。それは言い換えれば自分らしく生きることであり、介護を犠牲と思わずに生きる考え方です。「おばあちゃんの介護のせいで、私はなにもできなかった」では、介護されるおばあちゃんも切ないでしょう。逆に、それは、自分の人生をしっかり持っていない言い訳を、介護のせいにしていることでもあるのです。もちろん、介護には時間もエネルギーも吸いとられますが、意識だけでも、「私の人生の主人公は私」と思うことが、介護される人の人生も大事に思えるようになるのです。

  介護は大変が当たり前。大変がスタートです。そのなかから、自分の人生を意識して自分の時間をつくる。その時間をどうつくり出すかが、介護を楽にする一歩だと思います。
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『頑張らない介護とは、介護放棄するということではない。介護サービスや人の手を借り自分の生活も楽しむゆとりを持ちながら介護する』ということ。

 今年、誕生日を迎えると103歳になる夫の母は90歳前後からボケだし、連日、昼、夜なしに「お金が無くなった」「男がかくれている」などと騒ぎ、食事をしても「私にご飯を食べさせないつもりか」とわめき続けた。実母の狂態に私の夫は力で押さえ込もうとただ怒鳴りかえすだけ。その言動にますます興奮し失禁したりで、私はノイローゼ寸前に追い込まれていた。

 こんな姑でも近所の人や来客者には「お世話になってます」と、立派なあいさつをするので傍目には異状が見えず「かくしゃくとしたご隠居さん」といわれて、複雑な思いをしたものである。ある日、偶然、姑の知人に出会い慰めを請うつもりでグチをいうと「あなた、前にお姑さまに意地悪したんじゃぁござんせんか、いま仕返ししてらっしゃるざますよ」と、いわれてあっ気に取られて絶句した。

 今になって思えば『何を言ってるざますか、嫁に来て以来、意地悪され続けているのは私の方ざますよ、トイレやお風呂で人知れず幾度も泣きましたざます。おうらみ申しますでざます』と、いい返せばよかったと後悔しきりである。

 そのうち姑は銀行や郵便局にも残高が違うと文句を言いに行き、相方から「只今、窓口でいかにも私どもがゴマかしているかのように大声で怒鳴ってます」と電話をもらっては、引き取りにいくようになった。

 「どうぞ、神様助けてください」と、わらをもつかむ思いで本屋に飛び込んだら、ずら~っと並んでいるのは介護の専門書に、介護をして「人間が成長した」「幸せをもらった」という美談調の手記ばかりだ。『冗談じゃないわよ、私は死にそうだって言ってるのに。介護が幸せだって、笑わせないでよ』と怒り『誰も書かないなら私が書こうじゃないの』と心血を注いだのが『老親介護はいまよりずっとラクになる~心も家計も救われる65の知恵』(情報センター出版局)である。介護者の立場で、介護者のための、介護者を元気にする、介護者を応援する本である。「嫁が姑、舅の世話をするのは当然」「老親に誠心誠意尽くすのが人の道」と献身する介護が主流であった90年代後半に、世間のバッシング覚悟で「頑張らない介護」を提唱したのである。
 
「帯も解かずに添寝して3ヶ月」ですんだ介護は昔のこと。いまは4~5年はざら、10年を超えるのもまれではなく30年という人もいるのである。やるっきゃないと1人で抱えこんで頑張ると、やがてストレスから、(1)介護者が病気になる。(2)この人さえ居なければと虐待に走る。(3)思い余って心中してしまう。(4)介護が終わった後に気が抜けて燃えつき症候群になる。(5)介護中毒という悪循環におちいり、人生を失う。

「頑張らない介護」とは、介護放棄するということではない。ヘルパーやショートステイなど公的介護サービスを目いっぱい使い、友人、知人、ボランティアなど人の手も借りて、自分の生活も楽しめるゆとりを持ちながら介護をやろう、という意味である。

 50代には50代の、60代には60代の人生があり、自分に余裕が持ててこそ、人にも優しくなれるのだから。介護の第一の仕事は介護者自身の健康を良好に保つこと。介護は頑張らないのが良い介護。このことをいつも忘れないで欲しい。
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ゆとりをもって接したら、母にも穏やかな笑顔が戻って来た。

 96歳の誕生日を迎えるまでは元気そのものだった母が、転んだことがきっかけとなって、三ヶ月後には寝たきりになり、今年で五年になる。

 最初の一年は辛かった。何しろ母娘共に初めての事態に遭遇したものだから、母はただただ不安に怯え、私はがむしゃらに目の前の難題に立ち向かうだけの毎日。目を三角にして、肩に力が入りっぱなしで時間だけが過ぎて行ったものだ。仕方がなかったとは云え、今思えば勿体ない無駄な労力を使ってしまったものである。

 今は在宅で、ヘルパーさんに介護のすべてを託し、私は日に2~3回顔を出して、お天気の事、社会の動き、昔の話しとかをしてゆとりをもって母に接することが出来ている。母にも穏やかな笑顔が戻って来た。

 勿論お金のかかることで、問題がないわけではないけれど、介護という大きな荷物を背負う羽目になった時、自分一人で背負わない方がいい。頑張って背負ってしまうと、背負う方も背負われる方も疲れ果ててしまうにちがいないのだから。そこには笑顔なんてあるはずはないのだから・・。

 短い人生、やっぱり笑顔で過ごしたいではないですか。
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ゆとりある笑顔が返せるために「力を入れすぎず」に長期戦を乗り越えたい。

 人生80年の時代を迎え、介護は人ごとではありません。ましてや誕生する子どもの数がベビーブームの時に比べ100万人程少なく、今後出生数の増加が期待できない21世紀になっています。「一体、私の老後を誰に委ねればよいのでしょう?」と思われる方がいらっしゃることでしょう。

  一人っ子の私が仕事をこなしながら両親の看病と介護を経て、2人を見送ることができたのも、家族の理解と協力そして適切な援助が得られたからだと思っています。介護は未来を夢見ることのできる子育てと異なり、先に待つものは「死」、誰も避けることができず、平等に忍び寄る人生の終着駅なのです。

 看取る側、看取られる側の両者がお互いに安心と少しでも充足が得られるために、「力を入れすぎず」に長期戦を乗り越えたいものです。ゆとりある笑顔が返せるためにも。
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がんばらない介護とは、すべてを自分でやらなければと
自分を追い込まぬように関わること。

 私は元々、自分の老親を看るのは子のつとめと思っている人間です。ですから私の母を団地住まいの我が家に引き取って看取ったことも子供として至極当然のことと思っています。ただ現役のアナウンサー時代のことですからウィークデーの日中の看病はほとんど妻がしていました。もちろん母の看病は家族全員のつとめと思っていましたから、休みの日、夜の仕事で昼家に居られる時は清拭、寝衣・シーツ・体位交換などは積極的に手伝っていましたし、洗髪などお湯運びの様な力のいることは私がしていました。何よりも洗濯物干し、買い物、休日の食事作りなどをはじめ、一番大切な“自分の事は自分でする“というように妻の家事の負担をできるだけ軽くするよう心掛けてもいました。

 私は当然、妻も娘も、母との会話を絶やしませんでした。一家のうちにたとえ寝たきりの病人がいたとしてもその事によって家族の生活がすべて犠牲にされるなんて事もありませんでした。妻は2年前から続けていたプール通いも続けていましたし、少々ストレスがたまると私や娘に留守を頼み、深夜のドライブでそれを解消したり、夜のニュースを終え帰宅したときには、深夜の晩酌をしながらたまったものを発散していたし、彼女の友達が時々来ては、母の見えるところで食事や会話を楽しんでいました。

 下手をすると「がんばらない介護」というと手抜きをする、放って置く、施設に預けてしまう、と誤って受け取られがちですが、自分を変に追い込まず、例えば息抜きのためショートステイの世話になったり、入浴サービス・デイケアなどをうまく利用し、すべてを自分でやらなければと自分を追い込まぬように関わる事だと思っています。
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誰もが当たり前に介護世帯に手を貸して、介護者はご厚意に甘える「お互い様的助け合い」を。

 「いい加減」 「適当」って、本当はとても素晴らしい言葉なんですよね。物事を多角的に見て「好い加減」にバランスを取る、「程好く当てはまる」、誰もが心地よく生きるための先人たちの深い知恵を感じます。

 私が「介護」を漫画のテーマに決めたのは「特殊なジャンル」だからではなくてむしろ最も身近な人間関係のドラマを紡げると思ったからでした。でもそこにあったのは想像を絶する悲劇のドラマでした。誠意が報われない泥沼。でも「がんばるな」と言われても状況は千差万別で「がんばらざるをえない」方もたくさんいらして「がんばってるあなたが悪い」なんて口が裂けても言えません。「がんばらないで!」なんて運動を起こさなきゃならないくらい、社会は介護をしている人の「いい加減」に無理解なのでしょうね。

 私たち、小さいときから「減点法」で育てられがちですよね。100点満点の「理想の介護」からできなかったことを引き算していく、周りもそんな目で見る。でも介護に携わってる時点で100点で、できたことを5点、10点と足し算していく採点法があってもいいんじゃないかなあ。そしたら10000点ぐらいのかた、いっぱいいらっしゃるんじゃないですか?

 ひそひそ減点しているお隣りの奥さん、子育ても終わってるんだったらたまには数時間介護を代ってみましょうよ。町内会で「○○さん、徘徊があるようだからみんなで気をつけましょう」ぐらいの決議をしましょうよ!もしかして、介護者を心身ともに救うことができるのは、公的サービス以上にご近所なのかも・・・ってこのごろ感じています。

 誰もが当たり前に年を取るのだから、誰もが当たり前に介護世帯に手を貸して、介護者はご厚意に甘える、そんな「お互い様的助け合い」を漫画の中では描いていきたい。一日も早く「がんばらなくていい」ことが当たり前になりますように!

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がんばらない、とは『ギブアップしよう』という意味ではなく、『あきらめない』という意味。

  2年前に僕は「がんばらない」という本を書いて、驚くほどたくさんの人から「この言葉に出合ってホッとした」という手紙をもらいました。日本人は「がんばる」ことが大好きですから、みんながんばり過ぎて息が詰まりそうになっていたんだなあと思いました。

 「がんばらない」とは、「ギブアップしよう」という意味ではありません。むしろ逆で、「あきらめない、希望を捨てない」ことなんです。これまで十分がんばってきた人が思うような成果を上げられずに苦しんでいるとき、激励のつもりで言った「がんばれ」が、その人を傷つけてしまうことがあります。「がんばれ」という言葉には、「今のままじゃダメだ、もっとがんばれ」と、その人のがんばりを否定する響きがあります。だから本当は、「よくがんばっているね」と、その人のありのままの姿を認めて、そこから豊かな生き方をしていくことが大切なのです。

 医療も介護も同じですが、「がんばる」介護は、みる側の都合を優先した押しつけの介護になりがちです。本来、介護は、介護される人の人生を支えることです。苦難の状況にいる「介護される人」が何を望んでいるのかが一番大事なのに、介護する側がひたすら「がんばる」介護の中では、それが見えなくなってしまう。肩の力を抜いて「がんばらない」介護をしてみると、誰を大切にしなければならないのかが自然に見えてきます。

 20年前、僕たちの病院は市民の声に応えて、寝たきりのお年寄りを「お風呂に入れちゃう運動」とデイケアを始めました。福祉のお世話になることを潔しとしない人たちも「病院がやっていることなら」と徐々に利用者が増えました。そうして地域へ出て行く中で、僕たちは介護する家族を支えることの大切さを身を持って知りました。介護を一人で抱え込んでいては疲弊するだけ。共倒れになっては介護される側にとってもよくありません。

 介護する家族には「ラクになってよ、そのために僕たちがやっているんだから」と言ってあげたいんです。たとえば、週に1、2回は各種の介護サービスを受ける。家族が疲れなければ、いい介護を長続きさせることができます。介護される側にとっても多様な人とのかかわりはいい刺激になるし、何より身近な家族の負担が減って、毎日の暮らしに笑顔やコミュニケーションが増えることもあるのです。それは介護を受けながら、その人らしく輝いて生きるためには大切なことではないでしょうか。
 ほんのちょっとでも余裕があると、人は介護を楽しむこともできるし、成長することもできます。罪悪感なく上手に手を抜いて、時には正々堂々とリフレッシュの時間を持ってほしい。そしてまた、明日からしっかり介護する力を養ってもらえばいいんです。

 21世紀の高齢社会では、介護は大きなテーマです。お互いのありのままを認め合って、多くの人たちが力を合わせて、その人らしい多様で豊かな生き方を模索していく。そのために「がんばらない介護生活」の考え方が、一人でも多くの人たちに浸透していくことを期待したいと思います。
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自分の人生を最優先してよいのだという、介護者の決意が必要だし、そのことへの社会的合意の形成が必要だ。

 「がんばらない介護」の最初の提唱者は竹永さんという男性介護者。この方は東京在住だったが、鹿児島の老親が重度の要介護状態になり、それまで世話をしていた他のご兄弟がお手上げになった後を引き次いで、当時(1999年)使える限りの社会サービスを結集し、ご自分は直接介護の手を下さず、各種の社会サービスのコーディネーターに徹するという方法で見事に介護をこなした。「情や世間体に引きずられずに、合理的に。自分自身の生活を大切にしよう。」と介護の世界に、合理主義と一種の「個人主義」の考え方を導入し、当時非常に大きな反響を呼んだ。
ここで、では対置すべきものとして「がんばる介護とは」を考えてみると、問題の本質がよく見えてくるのではないだろうか。

 長年にわたり103歳の姑の介護をしていた73歳の嫁で、自分が子宮癌にかかってしまい、余命いくばくもない、という状態に陥った方がいる。この方の叫びは悲痛だ-「私の人生を返せ」と。

 本田桂子さん。著明な作家丹羽文雄さんの娘で、自ら「私はファザコン娘」と称してはばからない。だが 「大好きだった」父丹羽文雄の介護のために蓄積したストレスのためにアルコール依存症に、そしてついに父母を残して過労死に至った。「老人ケアは一カ月二カ月という短期間で終わることは珍しく、一年、二年あるいは五年、十年とかかる長期戦です。ケアをする側の精神状態こそ、もっとも大切になってきます。もっと精神的に楽にケアできるよう、研究する余地は十分にあると思います。(中略)しかし、介護しなくてはいけない人がいる場合、どなたも同じだと思いますが、どこにいても、喉の奥に小骨が刺さっているような感じで、スッキリしません。寝ていても、脳の一部が老人のほうにひっぱられていて、常にどこかが緊張している状態なのです。だからよく眠れなくなってくる。何かも全部忘れてグッスリ休みたい。」(『父・丹羽文雄介護の日々』より)

 介護における「ガンバリズム」の本質は肉体的な疲労よりも、絶えざる精神的ストレスが最悪なのである。これはおそらく当事者の立場にならないとわからないようだ。そこで考えられる対策とは何だろうか?

 「私だけががんばらなくてもよい介護」の実践的なマニュアルを見つけた。以下は、カナダアルツハイマー病協会ホームページより
http://www.alzheimer.ca/
 〔介護者自身をケアすることがなぜ必要か?〕「日々の生活のための『戦略』」
  ・病気について現実的であれ
  ・あなた自身に対して現実的であれ
  ・自分の感情を受け入れよ
  ・自分の気持ちを他の人と共有せよ
  ・良い面を見つけよ
  ・自分自身を大切にせよ
  ・自分自身の時間を確保せよ
  ・ユーモアを探そう
  ・介護の提供は大きな損失を伴う可能性があることを認識せよ
  ・手助けを見つけよ

(「痴呆性高齢者の家族支援に関する国際比較研究 報告書」国際長寿センター平成14年3月)

 介護の世界の「ガンバリズム」には非常に複雑な事情が幾重にも絡んでいる。ここに言われている「ユーモアを探そう」というのは意味深だ。よく優れた俳優が「悲劇よりも喜劇を演ずる方がよほど難しい」と。悲劇は主観に感情を委ね、熱演すれば受ける。しかし喜劇に求められるのは、自らの位置-他者の関係を常に冷静に見据える、客観的精神である。

 そういう意味では「介護の提供は大きな損失を伴うことのある可能性」を見据えること。つまり自分の人生を最優先してよいのだという、介護者の割り切りというか決意が必要だし、そのことへの社会的合意の形成が必要だ。まず当事者がそのハラを決めることだろう。

 大上段にいえば『介護される側の人権とともに介護する側の人権』そのバランスをとることについて社会全体で支援することが必要だ。レベルの高い社会的支援サービスのシステムが不可欠であるが、それは介護保険の導入によって一昔前とは比較にならないくらい改善された。むしろ制度を使いこなす情報と才覚が必要になってきた。だから「手助けをみつけよ」なのである。

 先の本田佳子さんの夫隆男さんは、妻の死後「最初にもう少し介護についての知識があったら、と悔やまれることもあります」と述懐しておられる(前出)。
ここに介護保険やテクノロジーを駆使した福祉機器や高性能のオムツが登場することになろう。

 「がんばらなくてよい」というと 本当は頑張った方が良いのだけれども、お互いに「辛抱しよう」という雰囲気が背景にある。結局は介護されている本人に「がんばって」介護されている場合と「がんばらない」で介護している場合と比較してもらわなければならない。そういう視点からの調査があれば「がんばらない」介護が本物だという説得力をもつだろう。

 介護者が「頑張らなくても」、介護される側も「快適」「尊厳」、介護する側も「安心」「自分の生活」を得られることそれが、「頑張らない介護」の新しい地平だろう。

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